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はじめに
推し活に力を注げば注ぐほど、楽しい反面なぜかモヤモヤすることが増えてしまう。
推しについて長期間情報を追っている人ほど、SNSで見かけるたびにもどかしさを吐き出している。
そんな現象に心当たりはありませんか?
この記事では、自分の推し活を振り返りつつ主観てんこもりでこの疑問に向き合っていきたいと思います。
「私はそうは思わないな」という方も、
「こんな人もいるんだなぁ」という感じで気軽に読んでくれると嬉しいです。
「頑張るほど傷つく」理由の正体とは?
サン=テグジュペリの『星の王子さま』に、こんな一節があります。
「きみの薔薇の花がそんなにも大切なものになったのは、きみがその薔薇の花のために時間をかけたからなんだよ」
(サン=テグジュペリ著『星の王子さま』より)
翻訳による表現の違いはありますが、聞き覚えのある人もいるのではないでしょうか。
これは、王子さまが友だちになった狐と別れる時に、狐から贈られた言葉です。
これにより王子さまは、見た目は同じでも自分の薔薇の花は他の薔薇の花とは違う存在なのだと気づきます。
人は自分が費やした時間や労力に比例して、その対象を大切に感じるようになるものです。
つまり、推し活に力を注ぐ時間が長くなれば長くなるほど、推しが自分にとって特別な存在になるのです。
ですが、一般的な推し活において、その膨大にふくらんだ時間や労力に比例して応えてくれる存在を得られることは少ないでしょう。
努力は報われる、報われてほしい──そんな思いを、誰しも心のどこかに抱いています。
しかし実際は、報われない、理不尽だと感じてしまう場面が少なくありません。
👤応募券のために何枚も円盤を積んだのにライブに落選。SNSを見ると、一枚だけ購入した人が当選していた。
👤コンテンツを支えようと課金をしてきたソシャゲがサービス終了してしまった。
👤毎日ファンイラストを描いていたのに、突然キャラクターの設定が変更された。
👤コンテンツが新規ユーザー向けのサービスにばかり力を入れ始めた。
頑張りは人それぞれ、供給は皆一緒。
もちろん、頑張ることで抽選に当たる確率を上げたり、欲しいグッズやデータを手に入れることはできるかも知れません。
ですが、“薔薇の花”が私たちのために時間をかけてくれることはないのです。
反対に、お金や時間を全く使わなければ、そういった失望を抱くことは少なくなるでしょう。
悪いことが起きたときも諦めがつきやすくなりますし、良いことがあればコンテンツや自らの幸運に心から感謝することができます。
推し活にお金や時間をかけるほど、推し活で満足感を得る難しさが増していく──そんな矛盾に私たちはいつの間にか直面しているのかもしれません。
推しへの愛は待ってくれない
たとえば、趣味として園芸を始めるとします。
「大切に育てみたけれど枯れてしまった」
「畑で育ててみたいけれど土地がない」
といったときに、どんなことを考えるでしょう。
「あの人は枯れてないのに私のだけ枯れるなんてひどい!」
「庭のある家に住んでいる人はずるい!」
となるでしょうか?
たとえば、趣味としてインテリアの勉強を始めるとします。
「欲しい家具が高くて買えない」
「家具屋さんが近くにない」
と知ったときに、
「私にはインテリアを楽しむ資格がない」
「〇〇さんが毎週通っているのを見ると悲しくなる」
と落ち込んでしまうでしょうか?
それが推し活になるとどうでしょう。
スタートラインに立った瞬間、大好きな気持ちと叶えられない現実で、富士急もびっくりのジェットコースターに乗り込んでしまいませんでしたか?
どんな趣味でも長く続けていれば人と比べたり、人を羨んだり、うまくできず落ち込むこともあると思います。
ですが、始めたばかりの一丁目一番地で乱高下を繰り返すのは推し活くらいではないでしょうか。
それにはやはり、‘推し’という存在を‘好き’という自分自身の気持ちを燃料にした趣味であるといことが大きいと思います。
これは自分の経験談ですが、実現が難しい未来だけでなく過ぎ去った過去にまで想いを馳せ、過去に戻れないことを真剣に嘆いたのも一度や二度ではありません。
そしてその結果、推し活の燃料にブーストがかかり、上限という企業側の良心に財布を委ねることとなるわけです。
時間が経てば多少周りが見えるようになり、お金のバランスや時間配分に気を回せるようになるのですが、推しへの愛は待ってくれません。
それどころか定期的な供給が私たちの燃料を燃やし続けてくれるでしょう。
“マイペースな推し活”を高難易度クエストにする要因
•SNSで隣の芝を知ってしまう
推し活は自分の気持ちと向き合う趣味のはずなのに、気づけば他人の言動に揺さぶられてばかり。
本来はマイペースで楽しみたいはずなのに、それを難しくする要因があります。
そのひとつが、SNSです。
近年では、
「さあ推し活を始めよう!」
と意気込む人が真っ先に開くのがSNSではないでしょうか。
それどころが、推しを知るきっかけの大半がSNSと言っても過言ではありません。
そして自身が推し活をする上で教科書となるのもSNS、発表する場もSNS、誰かと繋がる場もSNSということも少なくないでしょう。
そんなSNSから生まれし推し活民ですが、推し活が生活に溶け込むに従って不具合が生じてきます。
それもそのはず、SNSには自分とは全く異なる生活をしている他人の推し活が大量に流れてくるからです。
自分が推し活を始めたからこそ、他人がどれくらいお金や時間をかけているか、どれくらい思い切った活動をしているか、努力しているか、才能に満ち溢れているかを感じてしまいます。
画面を覗いている自分自身が取り残されているような感覚を覚えてしまうこと、ありませんか?
•羨望が妬みに変わることもある
また熱量のある推し活、幸運な推し活は羨望の的となるものです。
自分がそういう推し活を楽しめているときに、結果だけを手に入れようとする人にターゲットにされてしまうこともあります。
妬まれ、攻撃されてしまうことも意外と珍しくありません。
これには私自身も覚えがあります。
新しくソシャゲをはじめた頃にガチャ結果を投稿して以来、知らないアカウントから粘着され嫌がらせを受けてしまいました。
相手がフォロワーさんだったのか、見ず知らずの同担拒否過激派の方だったのかは未だに分かりません。
全くの別件で私のことが気に食わなかったのかもしれません。
なんにしても嫌がらせしたくなるくらいならお互いのために見にくるなよ〜と思ってしまいますよね。
ですが、人には不快になるとわかっていても、それをあえて見にいってしまう性質があります。
嫌いな人、嫌いなコンテンツ、嫌いな主張、嫌いな集団──自分が「嫌だ」と感じるものにアクセスし、「やっぱり嫌だ」と確認することを脳が成功体験として認識してしまうのだそうです。
特にX(旧Twitter)はアルゴリズムの影響で、こういった行為を常習化させやすい環境になっています。
フォロワーさんの注意喚起をリポストしたら全く関係ない注意喚起がタイムラインに流れてくるようになってしまい、しばらくの間、自ジャンルの注意喚起を検索しては「酷い人がいるなぁ」と憤っていた過去の私は、この心理現象にがっちりと足を掴まれていました。
•我慢するしかないの?
こうして心が疲れてしまったとき、「もう我慢するしかないのかな?」と思ってしまうこともあるでしょう。
また、疲れていることにすぐには気づけないこともあります。
ゲームのランキング制度、ポップアップショップの抽選会、ハイペースで発売される新商品、推しの活動内容を賭けた投票制度など、マイペースに楽しむのが難しくなってしまうきっかけは他にもたくさんあります。
ですが、その存在を可視化できなければ、湧き上がる気持ちも半減するのではないでしょうか。
また相手に接触ができなければ、トラブルに発展することも防げるのではないでしょうか。
こういった問題に対する手っ取り早く有効な手段は、SNSと一時的にでも距離を置くことです。
環境に変えられてしまうのであれば、環境を変えてみましょう。
一週間でも一ヶ月でもSNSから離れてみると、自分がいかに他人の言動に振り回されていたかを自覚できます。
そして時期を選べば、それくらいの期間SNSから離れても生活に支障はありません。
ですが、これはあくまで手っ取り早く心と環境を整える方法です。
SNSから完全に離れてしまうと、推し活をする上では不便でしょう。
私は、完全にログアウトする方法や、フォロー内の投稿のみ閲覧しアクションはしないという方法を試したことがあります。
他にも、
•通知だけ切る
(自分の気持ちに余裕があるときに確認する)
•ミュート機能を活用する
(見たい情報が自分にとって有益とは限りません)
•検索しない
(情報に自分からアクセスしなければ心が揺らぐ回数も減らしていけると思います)
•普段ログアウトしておいて、必要なときだけログインする
(ひと手間加えることで脳のリソースを割く回数を減らせます)
など様々な距離の置き方があります。
そうやって調節しながら適切な距離感を見つけることが、推し活を楽しく続けることに繋がるのかなと思います。
まとめ∶推し活の中心は自分自身
誰かの華やかな推し活を見て焦ったり、自分の気持ちが見えなくなってしまうこともあります。
でも、そのたびに立ちどまって、「自分はどうしたい?」と問い直してあげてください。
SNSとうまくいかない時期もありましたが、私はフォロワーやオタ友など周りの雰囲気に流されて楽しむことも推し活のひとつの醍醐味だと思っています。
コラボカフェの散財報告、タイムラインを埋め尽くす新商品の交換ポスト、新情報への阿鼻叫喚……同じ趣味をもつ人たちと盛り上がれるのはとても楽しいです。
だけど、楽しい時間よりも誰かと比較して落ち込んだり悔しい思いをする時間のほうが長くなってしまっているのであれば、距離感を調整することも大事です。
自分が推し活を楽しむためというのはもちろん、そういう負の感情はきっと周りの人にも伝わってしまいます。
何をどれくらい推し活に費やすか、最終的に選択するのは自分自身です。
そしてまた、自分と違う選択をした人も、推しやコンテンツを支える大切なファンのひとりなのです。
自分も周りも笑顔で過ごせるような推し活を見つけていきましょう。
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